ゾンビを乗せて、出世魚はどこまでも。

 今年の始めのことだ。銀座線・渋谷駅の改装工事が年末年始の間に行われたというニュースを目にした。従来の銀座線・渋谷駅は非常に奇妙な駅で、地下鉄の駅であるにもかかわらず、ホームがビルの三階にあった。しかし、他の東京メトロ線渋谷駅はちゃんと地下にあるため、乗り換えが不便で仕方がなかった。就職活動中に何度かこの面倒な乗り換えをするハメに遭い、その度にいつもハイホーだなという気分になった。

  僕は昨年の春から夏にかけて就職活動をしており、その期間仙台の下宿を離れて実家で生活を送っていた。僕の実家は、神奈川県の地理的な中心部にあり、都心からはそれなりに距離がある。しかし、乗り換えなしで都心に1時間足らずでアクセスでき、就職活動の拠点としては、非常に便利であった。

 実家から面接会場に向かう際に、よく利用した路線は、田園都市半蔵門線だった。この路線は中央林間から渋谷まで走行する間『田園都市線』という名で呼ばれるが、渋谷を通過すると、直通運転にもかかわらず、突如呼び名が『半蔵門線』となる。田園都市半蔵門線は神奈川のベッドタウンと都心を結んでいるため、利用者が多く、通勤時間帯の車内は身体の形が変わってしまうのではないかというほど混雑する。

 中学・高校時代、田園都市半蔵門線を殆ど利用しておらず、僕はもっぱら小田急線ユーザーだった。ただ、小田急線も田園都市半蔵門線に負けず劣らず通勤時間帯の混雑率が非常に高い。そのため、毎日の登下校を通じて学んだ、満員電車をうまくやり過ごす極意が、今でも体に染みついている。そのため、久しぶりの満員電車も大して苦に感じず、むしろ親しみすら感じるほどであった。

 

 

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雑な路線図 

 

 しかし、こうした楽天的な気持ちも、長続きはしなかった。梅雨時期になると友人達は一人また一人と内定を勝ち取り、就職戦線から離脱していった。一方で、僕は面接の回数を重ねども重ねども、一向に内定先を得ることができず、前線で闇雲に剣を振り回し続ける日々が続いていた。

「なぜこんなにジメジメとした時期に黒いスーツを着て満員電車に押しつぶされ、勝算があるかどうかもわからない面接を受けに行かなければならないのか。」

 六、七月の間僕はこんな考えにずっと囚われていたため、面接会場への道中、田園都市半蔵門線に乗るたびに憂鬱な気分になった。気晴らしに渋谷のアップリンクやTOHOシネマズで映画を見ても、先の見えない不安からか映画の内容に没頭することができず、かえって落ち込んでしまうことが殆どだった。そして映画館を出て家路につくと、「自分は一体何してんだろう?」と渋谷駅のホームでうなだれていた。

 

 そんな苦しかった就職活動も八月の上旬には、無事に終える事ができた。今となっては屁の河童、喉元すぎれば熱さも忘れるである。ただ内定を得てから数日間は、なかなか気持ちの切り替えができず、仙台に戻って残り少ない学生生活を再開する気が微塵も起きなかった。

 

 腑抜けた状態でぼうっと実家で過ごす中、何の気なしに友人と連絡を取った。その折に、友人が身体を壊し、入院生活を送っていることを知った。友人の入院していた病院は、埼玉県内の病院にあり、僕の実家からかなり遠方だったが、たまたま数日以内に実家と埼玉の中間地点の新橋まで出かける用事があった。そこで僕は新橋から足を延ばしてお見舞いに出向くことにした。

 

 当日のこと、新橋で用を済まし、友人の待つ病院へと向かった。乗換検索をすると新橋から病院の最寄り駅までは、日比谷線で北千住に向かい、そこで東武スカイツリーラインに乗り換えて北上するルートが早いようだ。僕はその提案に従い、まず北千住を目指した。

 日比谷線は何度か利用したことがあったが、北千住駅まで乗ったことが殆どなく、馴染みがなかった。駅に着くと案内を頼りに、無事東武スカイツリーラインのホームに到着することができた。そこで次の電車を何の気なしに待っていると、見慣れた列車が姿を現した。それは何を隠そう田園都市半蔵門線だった。

 僕は「何故こんな場所で見慣れたアイツと遭遇するの!?」と少しパニックになった。三連休に一人旅に出たら、出先で職場の同僚に遭遇してしまった時のようだ。

 半蔵門線名義の電車は終点の押上駅に到着すると、東武スカイツリーラインと再び名を変えて久喜駅まで直通運転される。この事実をその時初めて知った。

 

 僕はこの路線の直通運転であるにもかかわらず、運行区間に応じて呼び名が変わってしまうところが非常に面白いと思う。まるで出世魚みたいである。出世魚は同じ魚であっても、体の大きさに応じて名前が変えられてしまう。同一の個体であるにも関わらず、第三者が定めた基準によって勝手に肩書が変えられてしまうところに人生の悲しさのようなものを感じてしまう。

 ただ渋谷駅がたかだか田園都市線の終着駅に過ぎず、列車は名前を変えて次の駅へと運行されているという事実は、僕の心を幾らか楽にしてくれた。渋谷駅で感じた焦りや人生の諦めも、まだ見ぬ終着駅に向かうまでの通過点に過ぎないのではないか。その通過点を経て田園都市半蔵門線東武スカイツリーラインといったように、肩書を変えて、前進し続けることができるのではないか。この出来事が、凝り固まった僕の考えを改めてくれた。

 見舞い帰りの半蔵門線の中で、仙台に戻って、学生生活を立て直さなければならないなと感じていた。