(2016/11/16)

  森見登美彦の『夜行』という本を読んだ。
ひたすらに艶かしい気分になった。しかしここではこれ以上、内容については触れまい。今日ここで語らうのは僕自身の夜の話である。

 僕は大学一年生の冬から早朝アルバイトをしており、週に2回ほど朝3時半に起きて夜の街に繰り出している。そして大学三年生になった現在、そんな生活をもう2年ほど続けていることになる。

 夏の明け方にアルバイト先に向かっていると、朝3時半でも既に空が明るみはじめているので、安心感がある。夏至近くなると日の出を拝めることもあり、なんとも晴れやかしい気分になる。

 しかし寒さが体を突き刺す冬の時期になると、朝の3時半は暗闇に包まれる。そんな暗闇の中アルバイトに向かって繰り出していく行為、それは正に夜行である。不安がある一方で、人様が暖かいベッドで安らかな眠りについてる中、暗闇を行くことにはなんとも言えない喜びがある。また普段見ることない新聞配達や人気のない通り、無人の交差点を見ると、ささやかだが別の世界に踏み入れたような、言い知れぬ陶酔感すら感じる。

 僕の下宿先の近くに小学校があり、その奥には寺が建っている。そのため、下宿が面している通りに出ると、灯りの消えた校舎越しに墓を拝むことができる。

稲川淳二が喜ぶようなロケーションである。

 ある日、バイトに向かう途中、その通りを歩いているとフラフラと奇妙な歩き方をする者が目の前に現れた。そして僕の数メートル手前で突如立ち止まるとしゃがみこんだのである。僕はどうせ酔っ払いだろうなとは思いつつも、それまでその通りで人と出くわすことが滅多になかったため、不気味に思い、あまりそちらを見ないようにして足早に横を通り過ぎた。しかし通り過ぎる瞬間、その者が何かボソボソと呟いたのである。僕はほぼ反射的に駆け出して、その通りを抜けるまで止まる事なく全力で走り続けた。その者が何を呟いたのか全く認識できなかったが、本能がアラートを上げたのである。

 そして、通りを抜けここまでくればもう安心だろうと思い、振り返ると10メートル後方をその者が走って追いかけてきていたのである。

 このほかにも幾度か、夜を往くうちに稀有なものを目撃した覚えがある。夜とは我々の認知できぬ不可侵の領域を秘めた世界なのだ。

 

 

 

 

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(2016/5/10)
 一週間前に買ったばかりの傘を壊してしまった。正確には壊したのではなくて、おそらく不良品だったのだと思う。まだ一回しか使ってないのにも関わらず、傘の先端部分から骨がポロリと外れてしまった。ここのところ出費がかさみ、節約を迫られていた最中の“不慮の事故”にイライラを抑えることができなかった。気がついた時には、僕は半ばヤケになって、不良品を買わされた大学生協に怒りを込めて傘をへし折っていた。その現場を、たまたま通りがかった善良な学生集団に目撃されてしまった。小雨の中、大学食堂の前で力任せに傘をへし折る体格の良い男はさぞ奇妙なものに見えただろう。僕だって、大学のキャンパス内でそんなアンブレラ・デストロイヤーと突然遭遇してしまったとしたら、多分少し距離を置くと思う。なぜなら怖いから。

 

 小学生の頃、傘でチャンバラをよくしていた懐かしい記憶がある。当時、僕らの傘からは雨から体を守るという本来の役割を剥奪され、代りにお互いの身体を力一杯叩くための棍棒としての役割を与えられた。そのため私達はよく身体のあちこちに痣を作っていた。だんだん子供の安全面について世間がうるさくなる中、傘は小学生が合法的に入手可能な唯一の武器であった。そして、雨の日には必ず通学路の途中にある公園でアンブレラ・ウォーズが幕をあけるため、当然何本も何本も安いビニール傘を壊して母親に怒られていた。救いようのない阿呆だ。

 そんな背景もあってか、傘は『消耗品』という認識があり、つい最近までビニール傘を愛用していた。しかし先代のビニール傘のビニ子が実験をしている間に、スプリングセンテンス、別の男のもとに半ば無理矢理連れ去られてしまった。

 このビニ子の不倫騒動を機に心を入れ替え地味な色でもいいから対量産型でなく個性のある傘を手元に置いておくかと、買った矢先に…冒頭に戻るわけである。

 

 ビニール傘とは切ってもきれぬ運命なのか。長い時間をかけて磨き上げられたアンブレラ・デストロイヤーとしての血がそうさせるのであろうか。伝説の一本を追い求める旅は続いてゆく。最果てはあるのか。