頭ん中どうでも良いことばかりジジイ。

 修士学生になってから、アルバイトで週に一回学部一年生に学生実験の指導をしている。実験準備は手順さえ覚えてしまえば全ての工程を流れ作業で行うことができる。実験の最中は実験の理論のところで混乱してしまっている学生を見かけたら、答えの一歩手前のアドバイスを与えて尻を叩いてやる。大抵の場合それで彼らは問題を難なく乗り越えるし、それ以外することもほとんどない。加えてかなり時給が良い。

 味をしめた僕は後期に入っても前期とまったく同じ内容の実験指導をしている。先日アルバイトの終わりがけに器具を洗浄していると、前期に実験指導を一緒にしていた同期の子が残した落書きを見つけた。

 

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(最後の行に確か僕の名前が書かれていたのだと思う。)

前期はその子ともう一人同期の男と一緒に実験指導を行っていた。二人とも気さくで親しみやすかったので、僕はその実験指導を結構楽しんでやっていた。残念な事に彼らは後期の実験指導には参加していなかった。

 なのでその落書きを見つけた時、彼らと他愛のない落書きをしたり、就活の話をしたのを思い出してかなり懐かしくなった。またよく分からないが泣きそうになった。正直自分でも気持ち悪い。最近どうもセンチメンタルになりすぎだ。

 だが意識的に取り組んでいることや盛り上がった会話なんかよりも、どこにでも転がっているような取るに足らない些細な出来事や会話のほうがより詳細に覚えていることが多い。

 ある事をきっかけに思い出しちゃうどーでもいいエピソードは、他にもRadioheadのNo Suprisesを聴いていると必ず思い出してしまうものがある。昨年の10月、共同研究先の東京の研究所で一ヶ月にわたり実験をしていたのだが、その滞在最終日に准教の先生とその先生の下についているテクニシャンの方々とランチに行った。感じの良いイタリアンで、美味しいピザをたくさんご馳走してもらったのだが、食事中店内のBGMでNo Surprisesが流れている事に誰からともなく気がついた。その時テクニシャンの一人が「朝起きてバイトに行く準備をしているときこの曲を聴いてたなあ」とこぼした。

 No Surprisesは日々の生活の倦怠感を歌った歌で自殺を思わせる描写もあり曲調もゆったりなので、僕の場合聴いているとchill outしてしまう。だから朝早くに起きてこれから金を稼ぐであろうその人が、この曲を聴きながらせわしなく準備をしているのを想像すると今でも笑える。それ以来僕はこの曲が好きだ。

 些細な幸せを見つけよう!それがあなたを成功に導きますみたいな啓発がしたいわけではない。少し昔の話を思い出し、心にしまっておけば良いのに自慢したくなっただけだ。(僕の悪いところだ。)そもそも、本当に金に窮していたり、仕事や生活に心身追い詰められていたら、些細な事は記憶にも残らないし、心の支えになりゃしない。些細なことでは人を死から遠ざけることはできないのだ。はたまた些細な事ポイントをたくさん集めたって、ベルマークみたいにグランドピアノと交換できたりしない。本当にクソの役にも立たないのだ。

 しかし煙草を吹かしてる時や映画館で映画を見た後とかの、あのなんとも言えないぼうっとした時間、そのひと時に何かがきっかけとなって些細な事ばかりを思い出してしまう。

 もしかしたら年を経るごとにそういった習性がどんどん顕著になってゆくのかもしれない。最終的に僕は大事なことを何一つ思い出せなくなり、頭の中どうでもいいことばかりのジジイになれるかもしれない。

 そうであるのならば長生きも悪くない。ふと星野源の老夫婦を聴きたくなった。