(2016/5/10)
 一週間前に買ったばかりの傘を壊してしまった。正確には壊したのではなくて、おそらく不良品だったのだと思う。まだ一回しか使ってないのにも関わらず、傘の先端部分から骨がポロリと外れてしまった。ここのところ出費がかさみ、節約を迫られていた最中の“不慮の事故”にイライラを抑えることができなかった。気がついた時には、僕は半ばヤケになって、不良品を買わされた大学生協に怒りを込めて傘をへし折っていた。その現場を、たまたま通りがかった善良な学生集団に目撃されてしまった。小雨の中、大学食堂の前で力任せに傘をへし折る体格の良い男はさぞ奇妙なものに見えただろう。僕だって、大学のキャンパス内でそんなアンブレラ・デストロイヤーと突然遭遇してしまったとしたら、多分少し距離を置くと思う。なぜなら怖いから。

 

 小学生の頃、傘でチャンバラをよくしていた懐かしい記憶がある。当時、僕らの傘からは雨から体を守るという本来の役割を剥奪され、代りにお互いの身体を力一杯叩くための棍棒としての役割を与えられた。そのため私達はよく身体のあちこちに痣を作っていた。だんだん子供の安全面について世間がうるさくなる中、傘は小学生が合法的に入手可能な唯一の武器であった。そして、雨の日には必ず通学路の途中にある公園でアンブレラ・ウォーズが幕をあけるため、当然何本も何本も安いビニール傘を壊して母親に怒られていた。救いようのない阿呆だ。

 そんな背景もあってか、傘は『消耗品』という認識があり、つい最近までビニール傘を愛用していた。しかし先代のビニール傘のビニ子が実験をしている間に、スプリングセンテンス、別の男のもとに半ば無理矢理連れ去られてしまった。

 このビニ子の不倫騒動を機に心を入れ替え地味な色でもいいから対量産型でなく個性のある傘を手元に置いておくかと、買った矢先に…冒頭に戻るわけである。

 

 ビニール傘とは切ってもきれぬ運命なのか。長い時間をかけて磨き上げられたアンブレラ・デストロイヤーとしての血がそうさせるのであろうか。伝説の一本を追い求める旅は続いてゆく。最果てはあるのか。