大人になるとは

(2015/12/24) 

    最近、他愛もない会話の中や日々の生活の中で成人した事実を意識させられる回数が増えた。たまたま読んだPOPEYEの12月号でも『大人になれば。』というテーマのもと、身に付けるべき衣服や女性に対する接し方、食事の作法など様々な観点から都会的な大人の男のあり方について半分真面目に、半分小馬鹿にしてまとめられていた。

 この雑誌では、ネガティヴな意味でも、ポジティブな意味でも『大人』とは一体どういうものを指すのかがわからないといった姿勢が貫かれており、とても面白かった。

 幼少の頃の僕には、『大人』である事の明確な定義があった。大人とはこういうものだというクリアなアイコンが存在したのだ。それはシャーロック・ホームズである。

 彼は頭脳明晰で、武道の心得があり、芸術の理解もある。どんな難解な事件でも必ず解決し、隙あらばクールに葉巻を吹かす色男、今思えばなんともイヤな奴である。一発ぐらいボディーブローをお見舞いしたい。

 幼少の僕は当然のように、20歳になれば、きっとシャーロックホームズのような男になるのだと思っていた。僕はこういったダンディーな男になるべくしてこの世に生を授かったのだと思っていた。

 が見事にこの体たらくである。今の私は、マスクリンな男性像からは程遠い。孤独や苦難に直面したら、静かな顔をして通り過ぎるができず、ドッタンバッタン大騒ぎしてしまう。そしてその情けなさに深く落ち込んでしまうことが多々ある。その上、未だにバーはおろかTSUTAYAの暖簾を一人でくぐるのですら緊張してしまう。ホームズはともかくワトソン君からも遠い存在になってしまっているというのが悲しいかな僕の現状だ。



 改めて、大人って何だ。20歳を過ぎても腹立つ奴や許せない事は減らない。むしろ増える。ブラックコーヒーは飲めるようになったけど、飲みすぎるとお腹を壊す。この前漏らすギリギリ手前になって死ぬかと思った。自転車は何度も電柱にぶつけて、パンクさせてしまう。授業中に居眠りして起きた時にノートがヨダレでべちゃべちゃになってしまうことなんてしょっちゅうだ。いい加減な事はいちいち口を突いて出てくるけど、肝心なことはいくら待っても口から出て来やしない。成人式に出た時に、昔自分をいじめてた奴がごっついチンピラになって現れ、サッと隠れた僕にはダンディズムの欠片すらなかった。

 ここまで実際に文章に書き起こしてみると、現状が思ってたより惨めでも稚拙でもなかった。というより実体験なのに思わず笑ってしまった。この笑った瞬間、もしや私は凄いダンディになっていたんじゃないか!?と期待し、とっさに鏡を見たら間抜け面で笑う自分がいた。

世知辛い。ダンディの権威は今日もハイボールを飲む。